学校を休んで一週間。木曜の朝。
カーテンから差す日の光で眞代の瞼が開いた。首を横に倒し、枕元の時計を見る。
5を指す短針。朝の5時だ。
眞代は少し逡巡した後、すっと体を起こした。布団を畳み、部屋の隅にどける。
机の上に広げたノートや散らばった筆記用具。それらをまとめて通学用のカバンに入れると、彼女は自室を後にした。
身支度を整えて台所に向かうと、割烹着姿の母がまな板に向かっているのが見えた。トン、トンと野菜を切り分ける音が規則正しく続いている。
「お母さん」
眞代は思い切って声を掛けた。母は手を止めて眞代を一瞬見、それから手元に視線を戻した。
「体調はもういいのね?」
「うん、心配かけてごめんなさい。今日からちゃんと行くようにするから」
「あなたのことだから自習はしっかりやったんでしょうけどね、授業についていけなかったら先生にちゃんと相談するんですよ」
その後、出来上がった朝食を食べた眞代は、カバンを手に懐かしの通学路へと足を踏み出した。
ーー
ドアをガラッと音を立てて開く。久々に見た、規則的に並ぶ机と椅子。誰もいない教室は暗く、閉じ切られたカーテンの隙間から太陽の光が注いでいる。
点灯スイッチを押しながら、眞代は黒板の上を見上げた。
短針が7を指している。今までこんな早く来たことはなかった。当然鍵が必要で、眞代はまず職員室へと向かった。対応してくれたのが担任の先生だったので、その場で休んでいた分の課題をまとめて渡すことができた。
先生は少し驚いていたが、「ちゃんとやったのか、流石は浜崎だな」と褒めてくれた。
「ちょっときまり悪いなあ・・・」
休んでから最初の3日間は、ショックのあまり何をする気にもなれずただただ自室で引きこもって過ごしていたからだ。
だが4日目にして、このままではいけないと思った。思わせてくれたのだ。
「えっ眞代ちゃん?!」
「わー眞代ちゃんだあ!」
次々に登校してきたクラスメイトの笑顔が眞代を取り囲んだ。
「体調不良、もう大丈夫?」
「心配したよ~」
「ごめんね~心配かけて。もう治ったから大丈夫!」
「えっとじゃあ、ごめんけど・・・」
「早速、宿題教えてもらえる?」
「勿論!」
「流石眞代ちゃん、助かる~」
「とんでもない、こっちこそありがとね。色々連絡くれて」
引きこもっている間、しょっちゅう着信音を鳴らしていたスマホ。4日目に手にしたそれには山のようなメッセージが届いていた。
『来月体育のテストあるって。跳び箱、六段行けるか不安~』
『見て見て! すごく可愛くない? 私このケーキセット作ってみたい!』
『今週からうちらの班が給食当番だよ、マスク忘れないようにね』
クラスメイトから、部活の仲間から。
ただの連絡事項や他愛ないメッセージの一つ一つに「早く来てね」という言葉が込められているのが分かって。それで眞代はついに日曜日の朝、スマホの文字をタップすることから始めたのだった。
「あ、萌々ちゃんだ。おはー」
「おはよっ」
無意識に肩が跳ね上がっていた。そっと教室の入り口に目を向ける。なじみ深い団子頭。萌々がクラスメイトに笑顔で挨拶しているのが見えた。
眞代とも目が合ったが、何事もなかったかのように逸らされてしまう。
「・・・」
廊下には翠の姿もあった。他クラスの男女ー部活仲間だろうかーと何やらお喋りしている。こちらに背を向けているので表情は見えないが、様子を見るにきっと話が弾んでいるのだろう。
「わあっ」
悲鳴と共に、バサバサと何かが落ちる音。振り向くと、大量のわら半紙が床にばらまかれていた。黒板横に置いてある、下書き用のやつだ。悲鳴で分かるが、やったのは慌てふためいてる萌々だろう。しかも彼女はそれを踏んだ。
「あっ、ひゃっ」
わら半紙に足を取られ滑りまくる萌々。眞代は考える間もなく駆け寄っていた。
「えへへ~ありがとぉ」
「気を付けてね」
事態を収拾した眞代は、それだけ言うと萌々に背を向けた。
萌々からのお礼の言葉がこわばっているのも、取り繕う風に言われているのも気に留めまいとした。
(もう、終わったんだから・・・)
あの日以降、萌々からも翠からも連絡一つ来なかった。残ったのは投げつけられた言葉だけ。
『友達になんかならなきゃよかった』
『もう、一緒に遊ばなくていいから』
終わったのだ、自分達の関係は。そう、受け止めざるを得なかった。
(仕方ないことだよね)
壊れてしまったものは決して戻らない。だから切り替えて前に進むしかない。
今、眞代が優先すべきは2つ。
「眞代ちゃーん」
「早く教えてよー」
「はいはい、今行くねー」
眞代を受け入れてくれる他の友人との関係。そして今までの生活習慣を守ること。
日曜日、シャーペンを取った時、いつものように問題をすらすら解けなかった。
(なんで3日も何もせずに寝てたんだろう・・・)
もう二度と、ああいう後れを取ってはならない。
ーー
眞代は帰宅すると、予習復習を済ませ友達からのメッセージに返信を打った。そこまでした時ふと、棚に立てかけてあるノートが目に入った。ゲーム用のノートだ。用語から、設定、コツまで教わったことをせっせと書き込んでは日々読み返した・・・。
「もう、読まないな」
棚の奥にしまい込む。続けて、その横の文庫本を手に取った。
イソップ童話。葵に勧められた本だ。まだページが残っているが、頑張れば今日中に読み終わるだろう。
葵とももうずいぶん話していない。彼女は翠と同じくスマホを持っておらず、当然メッセージのやり取りも全くない。
「どうしよう」
感想含め、色々と葵と話したい。いつかは家に呼びたい。が、葵はきっと眞代達に起きたことを知らない。
(萌々と翠がいなかったら、きっと気にするよね)
「もうちょっと、後にしよう」
眞代は一人頷き、イソップ童話をそっと棚に戻したのだった。
ーー
お腹が空いた。台所で何か食べようとしたら、瑞波がいてお茶を飲んでいた。
「私にもお茶入れてくれない?」
「はいはい」
瑞波は急須から眞代の湯飲みへ茶を注いだ。
「今日、学校行ったんだ?」
「うん」
「気まずくなかった?」
「別にそんなことないよ」
眞代は冷蔵庫からタッパーを取り出し、具材を一つ一つ皿に乗せていく。
「・・・あの二人とも?」
「うん、だってもう終わっちゃったんだもん」
眞代は皿を持つと足早に自室へと戻った。
「やっぱ、その程度のものなんじゃんか・・・」
残された瑞波の声は、眞代に届くことはなかった。
◇◇
今現在、近所やPTAで難あり認定されている浜崎家は、昔からあまり評判がいいとは言えなかった。
危険人物ならぬ危険家族、というのとはちょっと違った。ただとっつきにくいと思われていた。浜崎家のインターホンを押す人間は、宅配屋さんを除いて皆オドオドしているし、何ならすぐにでも帰りたそうな素振りをする。
なんせ、両親が揃って気難しい性格だ。和やかな近所づきあいなどできるはずもなかった。
両親が大人たちの輪に入って、スーパーの特売やら学校行事やらのことで盛り上がっているところも瑞波は見たことがなかった。近所の人間は両親を避けるし、両親も両親で積極的な交流をしなかった。
そんな浜崎家の中で眞代だけが違ってた。あの誰にでも構いたがる性格のせいか、評判はとにかくよかった。幼稚園でも小学校でも常にたくさんの友人に囲まれているのを、1つ下の瑞波はたびたび見かけた。
さらに、誰もが近づきたがらないこの家にも眞代は友人を呼ぶのに成功していた。といってもたったの2人だけだったが。
■■
「あした、みゆちゃんち行きまーす。おかし持ってっていーい?」
「そう、いいですよ」
「みゆちゃんもうちに来てくれないかなー」
「別にうちは構いませんよ。うるさくしないんならね」
「でも、みゆちゃんいやって言うの。みんなも言うの。パパとママがダメって言うって。なんでかなあ」
「来たくないなら無理に来いなんて言えませんよ」
「それより眞代、お邪魔させてもらうんならちゃんと行儀よくするんだぞ」
「そう、今みたいに口に物を入れたまま喋っちゃダメよ」
「はあい・・・」
しょんぼりとご飯を食べる眞代だったがある日。
「ね、うちに来たいっていわれたの! 友だち、つれてきていーい?」
弾んだ声で、目をキラキラさせて母を見上げてそう聞いた。
「好きにしなさい。ただし?」
「言ってみなさい、眞代」
「はい! ちらかしません! うるさくしません!」
「「よろしい」」
そしてやって来たのが、例の2人、木村翠と梅野萌々だった。
「いらっしゃーい、モモちゃん、ミドリちゃん」
「おじゃまします、わっきれー」
この頃から頭のてっぺんに大きな団子を乗っけてた梅野萌々。勢いよく靴を脱ぎ、ダンと音を立てて式台に上がり込んだ。
「広くて木のいいにおいする! なんか、おやしきみたいだねぇ!」
「えへへ、ありがとー」
「ねえマッシー、モモこのおうち、たんけんしたいなあ」
「えーと、お父さんとお母さんとミズハのへやいがいはいいよ」
「やったー・・・ってミドリンなにしてんのぉ?」
「私まずおかしがいい」
「ええーミドリンの食いしんぼぉ~」
「だってマシロのおかしっておいしいんだもん。ねえあれないの、えんそくの時の」
「ああ、おいものようかん? じゃあそれ食べたらみんなでたんけんね?」
高さ2メートル弱、幅も2メートルくらいある黒壇の棚の引き出しを一つ一つ開けたり、椅子からジャンプして天井の木の梁にタッチしたり、庭の木に登ってサクランボを取ったり。
うるさくしないという約束はどこへやら、ぺちゃくちゃしゃべるわ、ドタドタ音を立てて歩き回るわ。探検に飽きたら飽きたで、かくれんぼやことわざカルタなどもやっていた。
「えーと・・・『ぬものにえたもごぞんじない』」
「・・・これ! 翠、それ『ぬ』じゃないよ、『い』の昔の文字」
「てかこれ、ことわざなの? 全然聞いたことないんだけど」
「マッシー、どういう意味か教えてよぉ」
「えっとね、」
3人の立てる騒音は嫌が応にも瑞波の耳に入ってきた。だって自分は放課後も休みの日も、ずっと家にいたのだから。
「今日は、萌々の家に行きます! おせんべいの甘いの、持って行きたいんだけど」
「甘いのが良いなら羊羹にすればいいわ」
「チョコデコしようって約束したから」
「チョコデコ?」
「うん。おせんべいにチョコで絵を描くのが今のトレンド?なんだって萌々が」
「・・・煎餅にチョコレート? そういうのは食べ物を粗末にしてるみたいで感心しないわね」
「私も食べたことないけど・・・ね、ね、お願い。『眞代の家のお芋せんべいに、チョコは絶対合う』って翠が保証してくれてるんだから」
数ある交友関係の中でこの2人との遊びはだんだんと習慣的なものになり、眞代は週に2度は3人の中の誰かの家で遊ぶようになっていった。
が、その騒々しい集まりも瑞波が小3に進級すると急にお休みとなった。
「萌々が違うクラスになっちゃった・・・」
梅野萌々は自クラスの女子とつるむようになり、3人で集まる機会が自然となくなっていった。木村翠と2人だけで遊んではいたみたいだが、
「3人じゃないとつまんないし、なんか萌々にも悪いよね・・・」
なんて言ってたし、頻度は減っていたのだろう。あとはたまに、他の友人の家に行くくらいで、眞代は前よりも家にいることが多くなった。
まあ所詮、幼馴染なんてそんなもんだと瑞波は納得していたのだが、なんとその年の秋くらいに3人の集まりは復活した。あれは・・・そう、梅野萌々の一件があってからだった。
「今日、久しぶりに3人で遊んだの!」
とっておきのニュース、とばかりに生き生きとした声で切り出した眞代。別に誰も、興味を持ってないのに。
「翠の家に行って、ゲームしたの!」
瑞波はハッとして顔を上げた。案の定、両親の顔色が変わっていた。
「ゲームですって?」
「カルタやトランプじゃあなく、あのチカチカ光ってピコピコ音の鳴るやつか?!」
「うん! あっでも、ピコピコじゃなくって、シャララーンとかパッピラッピポーンって音だよ。でね、皆でテレビをみながらやったの、宝石の欠片を集めるゲーム!」
両親の声が重くなるのも構わず眞代は話し続けた。
「初めてで、全然上手くプレイできなかったんだけどね。翠がノリノリでレクチャーしてくれたから3個宝石が作れたの! あ、でね、萌々も初めてだったんだけど私より上手くて」
夢中で話し続ける眞代を前に、両親は顔を見合わせた。瑞波には父と母が何を考えているのか分かった。あんなチャラチャラした玩具なんて、2人とも絶対大嫌いだからだ。
「ハイ!」
遮るように手を挙げる。
「僕だったら、ゲームしようって言われたら断ります」
「うん、それでいい。眞代」
父親は話を再開しようとする眞代を一声で押しとどめた。
「よその家の玩具だし、あまりとやかくは言わないが、勉強にだけは差支えのないようにしなさい」
「勿論、うちでは買いませんよ。分かってるわね」
「大丈夫! あーまた3人で遊べて本当に良かったあ・・・。今度はうちでカルタしたいなあ」
またうちが騒がしくなるのか。そう思ってうんざりした瑞波だったが、その日から梅野萌々と木村翠は徐々にうちに来なくなっていった。逆に眞代の不在が目立つようになったので、どうやら週2でどちらかの家に行っているようだった。
そして帰ってきた眞代は、少し疲れた顔をするようになっていた。
(勉強そっちのけではしゃいでるからだよ)
としか思ってなかった。あの会話を聞くまでは。
2人が最後にうちに来たのは、瑞波がもうすぐ小4になる春だった。
「「お邪魔しまーす」」
久々に、静かな我が家に騒音が飛び込んできた。ドタドタと客間に上がり込む音、キャッキャと騒ぐ声が聞こえてきた。
「うるさいなあ」
無意識に舌打ちしてしまい、慌てて口を閉じる。これは行儀が悪い。
席を立つと、台所に行った。
「小さじ2杯。温度は90度・・・」
急須に茶葉を入れ、やかんを火にかけて茶を拵える。湯のみに注いで盆にのせると客間へと向かった。脇はしっかりと閉じている。計算ドリルを挟んでいるからだ。
(これで、僕が勉強中だから静かにしなきゃいけないって分かるはずだ)
そしていざ、置いて襖を開けようとしたところで。
「あああああああああああああ」
ものすごい悲鳴にびっくりして思わず後ずさる。足元に置いた盆を揺らし、湯呑の1つがこぼれてしまった。
(ふきんふきん・・・)
台所から戻りながら、瑞波はたった今聞いた声を何度も頭の中で繰り返していた。
(姉さんあんな声出すんだ。何があったんだよ)
布巾で塗れた床を拭く。それ自体はさっさと済んだが、さっきの声の正体が気になったので瑞波はその場に少しとどまってみることにした。
「やった! モモの勝ち!」
「悔しい。今の宝石を完成させて、最後回避できてたら私だって」
「萌々ったら、あんなタイミングでお邪魔アイテム使うなんて~」
(ゲームしてたんだ。姉さんも、ああいうくだらないものにハマるんだな)
「へへん! 悔しかったらリベンジしてみたらぁ」
「望むところ。次のステージどうする?」
「あ、待って」
突如、眞代が会話に割って入った。
「一旦、ゲーム休憩してさ、別のことやらない?」
「別のこと?」
これは木村翠の声か。ずいぶんつっけんどんな。
「うん、カルタやろうよ」
「うーん、モモはいいかな。それより、ゲーム、ゲーム」
「私もリベンジしたい」
「次のステージ、どこがいいかなぁ」
再びわちゃわちゃと盛り上がる客間。が、眞代がそこに入ってないことに瑞波は気づいていた。
「ねえ、聞いて欲しいんだけどさ」
おずおずと、だがはっきりした声色で眞代が切り出した。
「2人がゲーム好きなのは知ってるよ。だけど、ゲームばっかりやってたら絶対良くないよ」
しん、と襖の向こうが静まり返る。
「いぞん?するってお父さんが言ってたし、違うこともした方がためになるはず」
それに対ししばし沈黙が続くかと思われたが、
「やだなあマッシー、モモのこと、心配してくれたのぉ?」
梅野萌々のあっけらかんとした声がそれを破った。
「大丈夫だよぉ、モモゲーム大好きだから! ゲームがあれば幸せなんだもん!」
「でも、でも、折角うちに来てくれたんだからさ」
「私だってMSGよりテレビの方がよかったし」
これは木村翠の声だ。
「やっぱ次回以降は、私か萌々の家にしない?」
「そうだねぇ!」
「えっでも、でも、呼んでもらってばっかじゃ」
「遠慮はごむよ~。2対1なんだからこれで決まりっ」
「・・・」
「マッシーだってゲーム好きでしょ?」
「・・・うん」
「じゃ、そういうことでぇ。次のステージ選ぼっ」という締めの声を背に、瑞波は客間を後にした。
■■
あの時感じたことは何も間違っていなかった。
(幼馴染との関係なんて、いつまでも続くもんじゃないんだ)
そう確信し、瑞波は安堵したのだった。

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