知らないふりをしてあげる

「なんか、急にお腹が空かなくなった」

カオル君はほかほかと湯気を立てているナポリタンから目を背け、ぶすっとした口調でそう言った。

これは、小6の社会見学の時の話。この日行ったのは県立の科学博物館で、午前中は班別に展示を見て回り、午後は皆でプラネタリウムを見た。

その間のお昼の時間は、館内のレストランで好きなものを注文して食べることになっていた。

班ごとにテーブルについて料理が来るのを待つ。先生からは静かにって言われたけど、当然大人しくしていられるわけもなくて。ロケットすごかったねとか(勿論模型だけど)、プラネタリウム楽しみだねとか盛り上がっていたら、あっという間に料理が運ばれてきた。

「お待たせしました、オムライスのお客様ー」

「僕でーす、僕僕、青山リョー!」

「ナポリタンの方」

「僕です」

班全員の料理が来たので「手を合わせていただきます」をして早速食べ始める。

私はドリアに、テーブルに置いてあった粉チーズをたっぷりかけた。パスタとかオムライスは家でも食べられるけど、こういうのはめったに食べられない。楽しみでワクワクしてる。

熱々のお皿に触らないようにしてスプーンですくい、少しふーふーしてからぱくっと口に入れる。クリーミーで味が濃くてとっても美味しい。あとタマネギがとっても甘い。

「あれれー。井上君、食べないの?」

青山君の声につられて右隣を見る。井上カオル君は目の前のナポリタンをじっと見ているだけで食べようとしない。

「ちょっとちょっとー、食べないんなら僕のフォークが攻撃しちゃうよ?」

「いいよ、食べれば?」

カオル君はどうでもよさそうに、ナポリタンの乗ったお皿を向かいの青山君の方へ押しやった。

「なんか、急にお腹が空かなくなった」

嘘だって思った。午前中、誰よりも熱心に展示を見て理科の教科書に一生懸命メモしてたカオル君。そんな彼が、昼が近づくにつれてそわそわしてたの私は気づいてた。絶対、お腹が空いてたんだと思う。

カオル君はナポリタンをグッとにらんでいた。正確には、パスタのあちこちに見え隠れするマッシュルームを。

やっぱり、キノコ嫌いなんだ。おばさんの料理にキノコが使われてるの見たことないし、給食で出た時も多分飲み込んでる。

「・・・」

カオル君はすっごく恨めし気だ。メニューに写真がないから、マッシュルームが、しかもこんなにたくさん入ってるなんて分からないよね。

「あー、わーかった!」

青山君は食べるのをやめて大げさに両手を叩いた。

「さては、何か嫌いなもの入ってるんでしょ」

「え、そうなの?」

「井上君にも嫌いなものあるんだー」

同じ班の女子同士が顔を見合わせる。

「青山リョー、ズバリ当てちゃいます!」

「やめろよ、そんなんじゃないから」

ムキになって首を振るカオル君。可哀そうで、私はハイと手を挙げた。

「なんか、ナポリタン食べたくなっちゃったな。井上君、良ければ交換してくれない?」

パッとこちらを向くカオル君。その顔はホッとしてたけど、すぐに注意深くドリアを見た。

「宇野、それ何、ドリア?」

「うん、ベーコンとタマネギとほうれん草のドリア」

キノコは入ってないよ。

「そ、じゃあ交換してもいいかな」

お互いのお皿が入れ替わるや否や、カオル君は勢いよくドリアにスプーンを突っ込んだ。と、そこで女子たちの視線に気づいて手を止める。

「何」

「いやその・・・」

「人の食べかけでも平気なんだな~って」

「え? まあうん」

カオル君はなんでもないようにドリアをパクパク食べ始めた。私だって今更気にならない。一匹の魚を一緒にほじって食べたりしてたんだから。

そんなこんなで誰よりも早くドリアを食べ終えたカオル君。

「今日はドリアの気分だって今気づいたよ。最初からドリアを頼めばよかったな~」

はいはい、分かったよ。キノコが嫌いだってことは知らないふりをしててあげる。

「宇野、僕らもう付き合ってしまわないか?」

放課後、何故か校舎の三階に呼び出されて。顔を合わせるや否や、いの一番にカオル君はこう言った。

花の高校生になったんだし、男子からの告白を夢見てときめいていたのは事実だ。でもいざそういうシチュエーションを迎えて、今の私はかなり戸惑っている。

まさか、カオル君が私に。だって、彼には。

「子供の頃からの仲だし、今でもよく一緒に帰るしさ。付き合っているようなもんじゃないか? これを機に僕らの関係性をはっきりさせとくの、悪くないと思うんだけど」

「そう、かなあ?」

釈然としなくて私は思わず質問してしまう。

「でも、付き合うってことは恋人同士になるってことでしょ? 嬉しいんだけど、井上君、私とでいいの?」

「それは・・・」

カオル君は少し下を向いた。

「宇野と一緒にいるとホッとするんだ。お互いのことよく知ってるだろう? 隣にいるのも馴染んでるし、信頼できるしさ」

「そっかあ・・・」

もしかして、という思いが胸をよぎる。けど私は自分の気持ちに素直になることにした。

「ありがとう、私で良ければ宜しくお願いします」

「! そっか、良かった! じゃ早速だけど」

肘を差し出してくる。おずおずと手を差し出すと、ぐっと腕を組んできた。

「これで帰ろう」

「えっちょっと恥ずかしいかも」

「いいじゃないか。付き合うことになったんだし」

腕を組んだまま廊下を歩く。幸い、2年の先輩方はほとんど帰ってしまっていたので、大勢から注目を浴びて騒ぎ立てられたりはしなかった。だけど、まだ残っている先輩達からしっかり視線を向けられているのを感じる。

2年1組の前を通った時、カオル君がちらりと教室の方に視線を送るのが分かった。私も思わずそれを追ってしまう。

いた。江藤先輩。彼女は少し目を見開いてカオル君と私を凝視しているのが分かった。

『井上君、なんか最近リカ先輩といい感じっぽいんだよね。あ、いや、どっちかって言うと井上君の方が熱心っていうか。あんな勉強一筋に見えて、そういう一面があるなんて意外だわー』

二人と同じ、数学研究部に所属している友人がそんなことを言っていた。恋バナが好きだからワクワクしながら教えてくれたんだろうけど、私はあんまり知りたくなかった。

件の江藤リカ先輩は今、私たちの姿に軽く衝撃を受けて固まっているようだった。井上君は彼女の反応を見ると、すぐに早足で階段の方へと向かっていった。腕を組んでいるので私も有無を言わさず引っ張られる。

多分、井上君は江藤先輩に告白したんじゃないかな。だけど、いい返事がもらえなかったんだと思う。だから「別に平気だ」って見せつけたかった。だから私に・・・。

「宇野、帰ろうか」

「うん・・・」

教室で帰り支度をしながらカオル君は私に話しかけて来た。

「その、ごめん。急に告白しちゃって。それに思ったより注目されたっていうか・・・」

バツが悪そうな理由は別にあるって私は知ってる。でも。

「これからよろしくね、カオル君」

そう言ってにっこり笑った。

幼稚園の頃は、ちゃん、くんまでつけて呼び合っていた。小学校低学年まではまだ頻繁にお互いの家を行き来してたし、一緒にご飯を食べたりもしてたから気安く下の名前で呼べた。でも学年が上がるにつれ、それぞれの時間ができたし周りの空気が気になってなんだか名字でしか呼べなかった。

ずっと心の中に封印してた呼び名を、ようやく口に出せるようになって嬉しい。

「付き合った記念に、どこか寄り道していかない?」

「そうだな、マリア」

しばらくぶりに彼に私の名前を呼んでもらえるのも。

「首席卒業に拘りすぎたなって」

キャンパスの中庭でカオル君ははあっとため息をついた。

同じ大学とは言え、学部が違うと昼休みくらいしか会えない。理工学部の彼は課題も多くて大変みたいだし。だからこそ一緒に過ごせる時間が貴重で、私達はカフェテリアや外食ではなく人気のないこの場所を選んで二人だけのランチタイムを過ごす。

その日もワクワクしながらお弁当を持って中庭に行ったんだけど、いつも先についてるカオル君がいなくて。

20分くらい待って、彼の姿が現れた時にはホッとした。

「ごめんマリア、遅れた」

「ううん。何かあったの?」

「いや・・・」

彼は顔をふいっと逸らした。

「その、実験が長引いちゃってさ。そんなことより早く食べよう」

「そうだね」

私がカバンからお弁当を取り出して広げる間、カオル君は一言も口をきかなかった。いつもなら、プログラミングとか定理の証明とか、実験の結果なんかを楽しそうに話し始めるのに。

それでも、タッパーの蓋を開けると彼の顔は少し明るくなった。

「今日のメインはハンバーグかあ。しかも大きい」

「えへへ。頑張って作ったんだよ」

芝生に並んで座り、「いただきます」をして食べ始める。

「うん、美味しい。肉は柔らかくてふわっふわだし、ソースもパンチが効いてて最高」

「ショウガをたっぷりすりおろして、しょうゆとみりんとオイスターソースと合わせてジンジャーソースにしてみたの」

「ハンバーグって言ったらケチャップとマスタード一択だったけど、越えちゃったかもしれないなこれは」

「本当? 嬉しい」

少し元気が出て来たみたいなので、私は切り込んでみることにした。

「今日、何かトラブルでもあったの? カオル君がこんなに遅れたこと今までなかったから気になっちゃって」

「・・・」

少しの間、無言で前を見ていたカオル君だったがぽつりと口を開いた。

「自分に呆れてるんだ」

「?」

「首席卒業に拘りすぎたなって」

はあっとため息をついてカオル君は話し出した。理工学部に入学以来、秀コンプリートは勿論、首席を維持しようと頑張ってきたけれどそれが思ったより困難だと分かったと。

「全部の課題を完璧にこなしてくのが思ったよりハードでさ、だから」

話している間、カオル君はどこか俯きがちであまり私と目を合わせようとしない。レンズの奥の目が充血しているのを隠そうとするように。

「特に大変な授業とかあるの?」

「・・・いや? 特に特定の授業がってわけじゃないんだけど。万遍なくってやっぱり大変なんだなって」

彼の顔と何かをぼかそうとする口調で私にはピンときてしまった。

『またボロクソに言われちまった。あの教授、満座の前でも言いたい放題言ってくれるから困るよ』

サークルの理工学部の先輩がそうこぼしてるのを聞いた。

荻教授。通称、鬼教授。模型の授業を担当してるみたいだけど、先輩曰くめちゃくちゃ厳しいらしい。評価のシビアさは勿論、酷評する時がとにかく苛烈で容赦ないとか。「こんなもの作るだけ時間の無駄」「つまり君は、何も考えていなかったということだな」とか・・・。

つい先週、その荻教授についてカオル君とも話した。

『来週、模型を見てもらうのが荻先生なんだ』

『すっごく厳しいって噂の?』

『まあね、でも見てもらいがいがあるよ逆に。歴代の卒研もいい感じに難易度高いし、ゼミも荻教授にしようと思ってる』

そんなふうに自信たっぷりに話していたカオル君が、今週になって意気消沈してる。目まで腫らして。

可哀そうに。けなされて、心が折れそうになってるんだね。首席だってもてはやされてきた分、みんなの前で言われるのもかなり辛いよね・・・。

それを口に出しちゃうと、彼の心を余計傷つけちゃうのは分かってる。

「まあ首席じゃなくても卒業はできるもんな」

けど、どこか投げやりになってる彼をただ黙って見てるのも良くないと思った。

「ハンバーグ美味しかったよ」

「ありがと。でね、実はね・・・」

「?」

「このハンバーグ、しいたけ入りです」

「はっ、えっ」

顔をバッと上げ、目を白黒させるカオル君。やっとこっちを見てくれたね。

「えー、キノコ嫌いだから入れないでって言ってたのに何でさ」

「もうちょっとで二十歳なんだから、好き嫌いしてちゃダメだよ」

「そういえばなんかそんな風味あったかも・・・小学校の給食以来、食べずに済むと思ってたのに」

「でも美味しいって言ってくれたじゃない」

「まあね、気づかなかったから・・・」

不貞腐れた顔のカオル君。気づかれないように細かく刻んだ甲斐があったなあ。

「やってくれたね、マリア」

「はい。でも、よく頑張りました。カオル君」

にっこり笑って言うとカオル君は、ちょっと目を見開いた後ふいっと顔を逸らした。

「キノコちゃんと食べれて、えらいよ」

「なにそれ、子供じゃないんだから」

また目を合わせてくれなくなっちゃった。でも頬っぺたが赤くなってるのと、かすかに肩が震えてるからどんな顔してるか見なくても分かる。

「・・・っ。ご馳走様。僕、もう行くね。実験の準備あるから。」

つばを飲み込み、弾かれたように立ち上がった彼の背中に私は声を掛ける。

「お疲れ様、理工学部って大変なんだね」

「まあね、でもまだ二年生になったばっかりだし序の口だよ」

「ゼミ始まったらもっと忙しくなるの?」

「・・・そうだね。一日中研究室にいるかも。下手したら泊まり込みとかありうる」

「じゃあ、こんな風に一緒にお弁当食べられなくなるかもなんだ」

「コンビニ弁当やらカップ麺やらが続くと思うとうんざりするよ。・・・キノコ食べなくていいのは助かるけど」

じゃ、と歩き出そうとする彼に対し私は更に言葉を続けた。

「なら、私がカオル君の研究室に行っちゃおうかな」

「え?」

カオル君が振り向く。充血した目がこちらを見ていた。

「私そんな忙しくないと思うから、お昼は一緒に食べれるはず」

「・・・研究室、ものだらけだから狭いと思うけど?」

広々とした中庭を見渡すカオル君。

「全然いいよ。あ、お邪魔じゃなければだけど」

「それは大丈夫だと思う」

「良かった」

そんな余裕ない、って言われるのが不安だったのでホッとした。

「コンビニより元気出るでしょ?」

「それはそう。マリアの料理、美味しいからね。食べられなくなるのは確かに嫌だな」

「食費さえ負担してくれたら、朝晩も作ってきてあげるけど?」

「ん、考えとく」

カオル君は手を振って歩き出した。

「ゼミ始まっても頑張ってね」

「早くない?」

「約束。私、毎日行くからね。先生に習ったこととか、研究のこととかいっぱい聞かせてね。絶対だよ」

「・・・ありがと」

それだけ言って彼は歩いて行ってしまった。

これから先、何があっても私がついてるから。だから挫けたりしないで。

口に出さなかった思いが、彼にちゃんと伝わってるといいな。

「しばらく仕事が忙しくなりそうなんだ」

また言われた。ここ最近、ずっとそうだ。何かにつけて忙しい忙しいばっかり。

「マリア、今日晩御飯いらない」

家を出る時、カオル君は私にそう告げた。まただ、と思った。

「残業?」

カオル君はこくんと頷いた。急いで身支度したためか、襟元とネクタイが乱れている。

「しばらく仕事が忙しくなりそうなんだ」

「そう、頑張ってね」

「うん」

行ってきます、と手を振って彼はアパートを後にした。

彼と同棲してもう二年になる。平穏で何事もなかった日常に変化の兆しが見え出した今日この頃。

カオル君は週に二回ほど外で御飯を食べて帰るようになった。それだけじゃない。休みの日にやたら携帯をいじっているし、一人で出掛けることも増えた。

ある日なんか、カフェでたまたま彼を見かけた。同じテーブルには私達の共通の友達が腰掛けてて、何やら熱心にお喋りしてる。私は見なかったことにして別の店に入った。

彼は忙しい本当の理由なんて話さないし、私も指摘したりなんてしない。

「でも隠すならもっとちゃんとしてほしかったなあ・・・」

リビングの床やソファーを見て私は苦笑する。

『国内ベストスポット』『海外旅行の定番と言えば?』。開きっぱなしで散らかるガイドブックの数々。私はそのうちの一つを拾い上げる。

『ハズレなし! プロポーズの聖地!』

これだけは、絶対に隠さなきゃダメでしょって思う。

「ホントにもう・・・」

多分、昨晩も遅くまで読んでたんだろうなぁ・・・。念入りに調べて、友達とも相談を重ねて、特別な思い出を作ろうとしてくれている。

私は、リビングを素通りして自分の部屋にこもった。

今年のお盆開けといて、とだけは言われてる。多分、その時かな。だからそれまでは。

パソコンを広げた時、ふいに不安になって机の上の鏡を見た。

・・・今朝も大丈夫だったかな。私、顔に出てなかった?

全部知ってるよって。

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