譲る、その理由

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オフィスの廊下を歩いていると、向こう側に人影が見えた。背格好や歩き方でピンときたが、顔が見えるところまで近づいてやっぱりなとなる。

洗練されたグレーのパンツスーツを着こなすスリムな体。少し巻いてハーフアップにまとめた黒髪。薄いメイクで引き立つきりりとした顔立ち。背筋を伸ばし、コツコツとハイヒールの音を立てながらまっすぐ俺の方に向かってくる。

同じ企画部2課の鈴木アミ。・・・同僚に打ち明ける度に決まり悪くなってたんだが、同期入社の彼女とはいわゆる幼馴染だ。ガキの頃から、否、生まれた頃からの腐れ縁だった。

産婦人科で寝かされたベッドが隣同士だったもんで、母親同士が自然とママ友になった。幼稚園に入る前から、良くお互いの家を行き来してたっけ・・・。

『ゴローくん、かーしーて』

『やーや、これぼくのおもちゃ!』

『かーしーてー』

『やーや!』

『ッ・・・ああああああーん。あーあーん』

『ちょっとゴロー、アミちゃんにも遊ばせてあげなさい!』

『・・・だってー』

『あああーん』

『アミちゃん泣いてるじゃない。可哀そうに』

『ほらゴロー。男なら、女の子には優しくしてあげないと』

『・・・わかったー』

すぐ泣くアイツに、最後にはおもちゃを譲ってやってたっけ。

『うっ・・・ひっくひっく・・・ありがと・・・』

『・・・ちょっとだけだもんねーだ』

同じ町に住んでたから小学校も中学校も一緒だ。当然クラスが同じになることはなかったけど、学童保育では一緒だった。

『はいみなさん、おやつは取りましたか?』

『『『はーい』』』

『じゃあ手を合わせて、いただきまーす!』

『『『いただきまあす』』』

『もぐもぐもぐ・・・ごちそうさま!』

『え、アミお前もう食べたの』

冷凍みかんはアイツの大好物だったみたいで、誰よりも早く皿から消えてた。

『うん、とっても甘くって美味しかったぁ・・・』

と言うその目は、「足りない」とばかりに俺の皿に向いていた。

『・・・俺別にそこまで好きじゃないし、半分食べれば?』

『やたっ、ありがとゴロー君!』

迷わずみかんを半分ちぎってくアイツ。そのまま、満面の笑みで口に運ぶ。

・・・冷凍みかんも好きだけど、まあドーナツほどじゃないしいっか。コイツ、チビだから身長伸ばしてやらないとカワイソーだし。

譲ってやる度に、そうやって自分を納得させてた気がする。

ドッジボール大会でも、似たようなことはやってた。

ガシッ。

『っと・・・』

『あー田中にキャッチされた!』

『やべーぞ、みんな下がれ!』

一か八か俺を外野送りにしようと挑んできたやつは少なくなかったが、俺がキャッチをミスったことは一度もなかった。どんなボールだって取れたし、投げれば絶対敵に当たった。

でもな、

『ほれ、鈴木』

『えっ』

アイツが味方にいる時は、たまーにボールを譲ってやってた。逃げてばっかで一回もボールに触れないなんて、流石に可哀そうだったからな。

アイツが引けた腰で投げるボールは、敵陣には届くものの丸い弧をかいて情けなくバウンドする。味方の士気は当然下がるが、まあそんなもの後で俺がすぐ挽回できた。

『上に向かって投げんな、前だ前。あと、ビビってないで白線ぎりぎりまで行ってから投げろよ』

『う、うん! えっと、ありがとう、田中先輩!』

素直だし、笑顔でアドバイスを聞いてくるのがなんかちょっと悪くなかっただけだ。

この先の進路は流石に別かと思ったが、アイツもまた俺と同じ高校に進学してきた。

『あ、田中先輩!』

『え、鈴木?』

いくら幼馴染とは言え、入学後まもなく二年のクラスに来れるアイツの度胸にはちょっと度肝を抜かれた。

『どうしたんだよ』

『あの、エドウィン先生どこ行ったか知りませんか?』

『うちの副担の? なんで』

『質問したくって、その・・・』

アイツは、学校の教科書じゃない冊子を胸の前でしっかり抱きしめていた。なんて書いてあるのか分からないが、タイトルがアルファベットなので英語学習教材らしかった。

『ついさっき帰った。今日は早退だとよ。話しといてやるから明日また来れば?』

『ありがとうございます。じゃ』

『ちょい待ち』

すぐに離れて行こうとするアイツを引き留める。

『なんでエド先? お前の学年のセンセじゃダメなわけ?』

『だって、あの先生の授業を受けたくてこの学校を選んだので』

『はい?』

『英語のスキルを磨いて、将来に役立てたいなって思ってるんです。だから・・・』

頬を紅潮させキラキラとした目で語るアイツに俺はしばし言葉を無くしていた。

『ありがとうございました、じゃ、』

『・・・ちょっと待ってろよ』

俺は教室の奥に行って紙屑だらけのロッカーの中を漁った。あった。

アイツに見えないように箱に着いた埃を払うと、戻って目の前にそれを差し出す。

『やるよ』

『えっ赤ペン?』

一年の時、たまたま絵画コンクールで佳作を取った。その時景品としてもらったやつだ。巷で売ってるやつより、ちょっと良いやつらしい。テンションは上がったけど、なんか勿体なくてずっと使えないでいた。

『ありがとうございます、勉強、頑張ります!』

さっぱり塩味のお礼を言うと、アイツはぺこりと頭を下げて走り去っていった。

『田中~、何あの子~』

『一年? 一年?』

『そーだよ、優しーだろ俺?』

群がってくる級友共に対し、俺は薄ら笑いを浮かべた。

『なんかちょっと可愛かったよな?』

『割とタイプかもしれん。紹介してくれん? 別に付き合ってないんだろ?』

『まーな。ただの、腐れ縁ってやつ? ガキの頃からの。てかアイツガリ勉だから、どうせスルーされるぞお前ら?』

手を振って追い払うと、俺は一人机の上に頬杖をついた。

流石に大学は別かもしれん。そんなことを考えながら。

その予感は無事に当たった。なんせ、アイツが行ったのは最高峰の国立大だ。俺じゃ、浪人しても無理だったろって今でも思う。

しかも、親づてに聞いた話では毎年留学も行ってたらしい。適当に講義を受けて適当にバイトして、暇さえあれば遊びまくってた俺とはレベルが違くて気圧される。

だからこうして、同じ会社に同期として入れた時には奇跡に近いものを感じていたんだが・・・!

今現在、廊下を歩く俺とアイツの距離はわずか数メートルまでになっていた。

「あ、田中君」

向こうもこちらに気が付いたのか、にっこりと笑みを向けてくる。

そしてアイツが俺の眼前に迫る直前で・・・俺は立ち止まって彼女に道を譲った。

「お疲れ様です、鈴木課長」

「うんお疲れ様、田中君。午前中のプレゼン良かったよ。来週も宜しくね」

それだけ言うと、新米課長は俺の前を通って行ってしまった。アイツの姿が曲がり角の向こうに消えるまで、俺はその場に立ち尽くしていた。

(・・・)

自然と、同僚達の顔が頭に浮かぶ。幸い今日は金曜だ。飲みにでも誘って、また話を聞いてもらうしかない。

お決まりの同情文句がどうせまた繰り返されるんだろうが、今日こそはもっとましな言葉が聞けないもんかな。

「今更すぎ」「どんだけ鈍感だったんだ」「身分差ドンマイ」・・・。

(あーーーーーーほんっとにもう・・・俺はどこでタイミングを逃したんだ・・・)

そんなの今の俺が、一番よく分かってるからさ・・・。

〈登場人物〉

〇田中吾郎

平社員。大学留年経験あり。

〇鈴木亜美

史上最速で課長に昇任したエリート。英語、ドイツ語を流暢に話す。

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