ある夜、女性五人のグループが居酒屋に入りました。
彼女達は同じ会社の違う部署で働くOLでした。一人は小柄で、一人は髪にパーマをかけており、一人は背が高く、一人は厚化粧をしており、一人はすっぴんでした。五人は席に着き、最初の一杯をオーダーしました。
全員分の飲み物が来ると、パーマの女性がまずジョッキを持ち上げました。
「それでは」
と、一瞬考えこんで、
「資格試験の終了を祝って」
「「「乾杯」」」
と、三つの声が続きました。五人はジョッキをガチャガチャ鳴り合わせ、なみなみと注がれたビールを飲みました。
「う、う・・・」
うめき声をあげたのは小柄な女性でした。彼女はジョッキをテーブルに叩きつけるようにして置くと、頭を抱えました。
「ああ、嫌だーーー! 私だけもう一年勉強なんて!!」
「まあまあ」
パーマの女性が慰めにかかりました。が、それに続く言葉がなかなか出てきませんでした。
「難しかったから落ちても仕方ない」と言ってあげるべきか、「簡単だから頑張ればきっと受かる」と助言するべきか困ってしまったのでした。
「私、バカだもんね。受ける前から分かってたんだよね。多分落ちるって」
「馬鹿なんかじゃないよ。頑張って勉強して、今度こそ受かろ!」
隣に座っていた長身女性が明るく言いました。小柄な女性のテンションを「ガチ」とみて、慌ててフォローを入れたのでした。
「うん、うん、そうだね。そう、そう・・・」
小柄な女性は残りのビールを飲み干しました。
「次何にします?」
と、厚化粧の女性が聞きました。
「じゃあ・・・カシオレ」
「了解です」
厚化粧の女性はブランド物のバッグからスマホを取り出し、QRコードを読み取りにかかりました。
「でもいいよね、皆はさ、一発で受かってさ。頭が良いんだよね。それに比べて私なんて・・・」
「ちょい」
一番端に座っているすっぴんの女性が口をはさみました。
「ヒス起こすのやめろよ。アンタを慰めるために集まったんじゃないんだから」
「ま、まあまあ」
長身女性が宥めようとしましたが、すっぴん女性はそれを無視してまくしたてました。
「黙って聞いてりゃ雰囲気ぶち壊すことばっかり言ってさ。ホント考えらんね。四人で合格祝いの計画立ててたら、『リフレッシュしたい』って無理やり割り込んできたくせにさ。立場を弁えられないんなら家で大人しくしてろよ」
「で、でも・・・私にだって気分転換は必要じゃない。それに、私抜きで飲みに行こうなんてズルいじゃない」
「まだうじうじ言ってら。ホントマジ帰れって。てか、居酒屋来て愚痴こぼすヒマあんのなら来年に向けて勉強した方がいいだろ絶対。そんな簡単なことも分かんないから、あのレベルの試験に落ちたんだろうが」
「やめなさい」
パーマの女性が強い口調で遮りました。
「言い過ぎは良くないわ」
すっぴん女性はそっぽを向いてぶつぶつ言いました。
「そもそも、先輩がコイツに『来てオーケー』なんて言わなきゃ、こんなことになっていなかったんですけどね」
「私たちの資格取得祝いと、『来年もがんばれ』の応援会を兼ねるのもいいかなって思ったの。だから二人とも、もう言い合うのはやめて。攻撃的になるのは駄目。あなたも、次に向けて切り替えることが大切よ」
「はい、分かりました」
カシオレを飲み干し、小柄な女性はきっぱりと言いました。
「皆さん、すみません。もう、ここで愚痴は言わないから」
「ホントかね。酔ってうっかりポロリしそうだけど」
「大丈夫」
と、小柄な女性はすっぴん女性を睨みつけました。
「帰ったら、彼氏にしっかり慰めてもらうって決めたから」
なら大丈夫か、と三人が安堵したのも束の間。あることを思い出し、視線が一人に集中します。すっぴん女性だけが、凍りついたように固まっています。
厚化粧の女性にカシオレのお代わりを頼み、小柄な女性は涼しい顔で続けます。
「私には優しい彼氏がいるもの。だから辛いことがあっても立ち直れる」
「ビール」
と、すっぴん女性は厚化粧の女性に言いました。
ビールが来るや否や、ごくごく飲み干したすっぴん女性。ジョッキを乱暴に置き、怒鳴るように言いました。
「彼氏に慰めてもらうって何。彼氏がいなきゃ、立ち直ることもできないわけ?」
「そんなこと言ってないでしょ。自分のメンタルケアぐらいできるよ。私だって大人だもん。でも、彼氏に話を聞いてもらえたら、すっごく幸せな気持ちになるんだよ?」
「あっそ」
「知らないよね、だってこの中で唯一、彼氏いないもんね。できたこともないもんね」
黙りこくるすっぴん女性。してやったりの小柄な女性。テーブルにはピリピリとした空気が流れています。
オロオロしながらも二人を止めようとする長身女性。それをパーマ女性が制し、メニューを渡して料理を何品か頼もうと言いました。
「ほっときましょ」
「え、でも」
「もういいわよ。せめて私達だけでも楽しまないと」
うんざりした口調には諦めと呆れが込められていました。最早、他のお客の注目の的になるのは避けられないとパーマ女性には分かるのでした。
「恥ずかしい。いつまでも子供で困るわ」
溜息をつくパーマ女性の横で、厚化粧の女性は追加のカシオレとビールを追加しておきました。
「先輩は何にしますか?」
「そうね、梅酒のソーダ割かしら。それか・・・」
「アタシは!」
と新しいビールを飲んですっぴん女性は叫びました。
「彼氏できないんじゃないから! 作らないだけなんだよ!」
「ふーん、そうなんだ」
「別に負け惜しみなんかじゃないからな!」
ビールを飲み干し、すっぴん女性は続けます。
「大体、彼氏がいるせいで困ることだってあるんだからな!」
「別にないけど」
「バッカ! このまま結婚できるのか問題に苦しめられることになるんだぞ! 最近の男って結婚願望ないって知らないのか?」
「そ、そうかもしれないけど・・・結婚なんてまだ少し先の話じゃない」
「お気楽ったらない。まあまだ若いしね。三十の『おばさん』になっても未だ彼氏のままなら、不安で不安でいてもたってもいられなくなってんじゃねーの?」
「き、決まりましたか?」
「ロックにするわ」
「割らなくていいんですか?」
「割らないわ」
表情を引っ込め、宙を見るパーマ女性。厚化粧の女性はこわごわ注文を済ませました。
運ばれてきた梅酒のロック。パーマの女性はグラスを掴んでごくりごくりと飲みました。その横顔を見て、小柄な女性とすっぴん女性は言い合うのをやめました。
「正直言って」
と、パーマの女性は口を開きました。
「私は、今の人生に生きがいを感じているの」
グラスがガン、と音を立ててテーブルに置かれました。四人は黙って目を見交わします。
「自分の裁量が大きくなって、責任ある仕事を任されるようになったもの。これこそ仕事の醍醐味。そう思わない?」
コクコクと頷くすっぴん女子。
「それに比べたら二十代の頃なんて、人に言われたことをただこなすだけ。だからと言って軽んじてはいけないわ。でもね、それをホントの仕事だって勘違いする人には困るのよね。特に女の子に多いんだけど」
パーマ女性は無表情のまま足を組みました。
「三十代になってから、仕事がすごく楽しいの。だから結婚なんて考えてる場合じゃない。無事資格も取れたことだし、私のキャリアが上昇するチャンスがやって来たんだわ。そう思うでしょ?」
小柄な女性とすっぴん女性は首が取れそうなほど激しく頷いていました。
「二十代の準備期間を経て係長にもなれた。今の私は『頼りになる』って言葉をよく頂くわ」
「か、彼氏とか結婚とかいう前に」
すっぴん女性が恐る恐る切り出しました。
「に、二十代のうちにしっかり下積み経験を重ねます」
「私も、資格を取って三十代になったら活躍します」
「それだけじゃないわ。人から好かれ、頼りにされる人になることがマストよ」
「「はいっ」」
「人から頼られることがなにより・・・あらっどうしたの?」
突然、パーマ女性は喋るのをやめました。彼女の前の席の、長身女性がわんわん泣き出したからでした。
「なんで急に泣いたの?」
「好かれるの、無理です、私、私なんか・・・」
びしょ濡れの顔面を、テーブルに埋めてすすり泣きました。背中を丸めて泣くその姿は、他の子では可愛らしい姿に写ったかもしれませんが・・・彼女のそれはずんぐりむっくりしていてまるで樽のようでした。
長身女性は、縦だけでなく横にも長かったのです。
「私なんか・・・無理です。絶対に頼りにしてもらえない・・・」
「そんなことないわよ」
パーマ女性は慌てて長身女性のフォローに回りました。
「あなたは穏やかでいい子じゃない」
「だって、だって・・・」
しゃくりあげながら背の高い女性は言いました。
「私、私知ってるんです。男性社員が、よく・・・私のこと噂してるの」
陰で、或いは面と向かって「デブでみっともない」「体臭きつそう」、そんなふうに言われていたのでした。
「「「「酷い!」」」」
四人は口を揃えて言いました。それには心からの怒りが込められていました。
「そんなこと、まったくないわよ!」
パーマ女性が叫び、後の三人もうんうんと頷きました。
「でも、私の体形は・・・私は皆と違って、太ってるし・・・」
「あら、それなら私は皆と違って三十を越えたおばさんよ」
「アタシは皆と違って彼氏いないしー」
「私も、皆と違って頭悪いよ」
「「「そう! だから気にすること」」」
(((・・・)))
張り切って言い出したのは良いですが・・・誰も「ない」とは続けられませんでした。
(スリムだったらなあ・・・)
(若さを買いたい・・・)
(彼氏欲しい・・・)
(頭良くなりたい・・・)
口にしてしまったのが間違いでした。
((((いいなあ、皆・・・なんで私だけ・・・))))
せめてもの救いは、皆が同じ心境なことでしょうか。そろそろ、と四つの視線が厚化粧の女性に向けられました。
誰もが、彼女が自分達に便乗するのを待っていました。厚化粧の女性も空気を読んで同じように、「私は皆と違って・・・」と言ってくれると思いました。
ですが、厚化粧の女性はキョトンとして言いました。
「飲み物、適当に頼んどきましたけど・・・ビール二個と、梅酒ロックと、カシオレで良かったですか?」
「そ、そうね!」
はっと我に返ったようにパーマ女性が言いました。
「ありがとう、頂くわ。皆、もう今日は何も考えずに楽しく飲みましょう!」
「「「はい」」」
「空になったら言ってくださいね、すぐ次の頼みますからね」
厚化粧の女性がウーロン茶を口に運びながら言いました。
ーー
どれくらい時間がたったでしょうか。気が付くとパーマ女性はテーブルに突っ伏していました。慌てて上体を起こしあたりを見回します。そこは居酒屋で、どうやら飲んだくれて眠ってしまっていたようです。
テーブルの上では、三人の女性が同じく寝息を立てていました。
「あれ、あの子はどこへ?」
姿がありません。トイレにでも行ったのでしょうか。探しに行こうか、と思ったその時スマホにメッセージが届いていることに気づきました。
そこに写った文字を見て、パーマ女性は思わずあんぐりと口を開けました。
『私だけ金欠なので、お支払い宜しくです』
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